お疲れ様です!とーやです!
先日、開催されましたAPOP若手バトラー向けの練習会である、「若手向け練習会」にて僭越ながらジャッジをさせていただきました!ジャッジというのはいつやっても非常に心苦しいものです。勝者に手を挙げるというのは、必然的に敗者を決定する行為であり、「あんたの負けだよ!残念だったね!」と遠回しに言っているのと一緒なわけです(過言)。このような役割を私はできる限りやりたくありません。オーガナイザーの皆様、そこんところよろしくお願いいたします(切望)。
とは言うものの、ジャッジをするともれなく学ぶことや得ることも非常に多いです。本練習会では、勝ち上がるダンサーや印象に残るダンサーは共通して『明確に自分自身の”ポジション”を取っている』ことを改めて実感しました。ちょっと!そこのあなた!「またこいつは小難しく理屈をこねくり回すんじゃないか?」って思いましたよね!?まぁ待ってくださいよ!この『”ポジション”を取る』というのは、ダンスのみならず、物事に取り組む根底となる重要な考え方なんです。そして、これは”理屈”をこねくり回すお堅い考え方ではなく、限りなく”感情”に寄り添った考え方です。
本記事では、ジャッジをして感じた『”ポジション”を取る』とはどういうことか。『”ポジション”を取る』ことにより得られる効果について、ダンスバトルという観点から掘り下げていきたいと思います!
”ポジション”を取るとはどういうことか
”ポジション”とは何らかの領域・テーマ・市場・議論などにおいて「自分がどこに立ち、どう振る舞うか」という意味です。もっと極端に言うと「主義主張」そのものが”ポジション”であると言えます。
例えば、「私はスイーツの中ではプリンが大好きです!」というのは『プリン好き』という”ポジション”を取っていることになります。好きなスイーツを人から尋ねられて、周りが何と言おうと『プリン好き』であることを主張することはそれ自体に違和感はないでしょう。
しかし、この”ポジション”を取ることは、『不正解が存在しない共通のテーマ』になると、その難易度が急激に高まります。例えば、「ダンスで大事なことは?」と聞かれたとしましょう。「楽しむことです!」と答える人もいれば、「技術を魅せること!」や「音楽を表現すること!」など、様々な答えが飛び出してくることでしょう。これらの多種多様な回答は、どれも強く否定することができないものばかりです。こういった絶対的な解が存在しないテーマについて、いや、そういうテーマだからこそ、自分なりの確固たる”ポジション”を取るべきであると私は考えています。「かっこいいシルエットが好きだから技術を大事にしてます!」という技術指向の”ポジション”、「この音楽の良さをいろんな人に知ってほしいから大事にしてます!」という音楽指向の”ポジション”、「イベントなんて楽しんでなんぼでしょ!」という遊び指向の”ポジション”などを恐れずに取っていくべきです。そこから自分の『好き』や『やりたいこと』がより具体的になり、ダンスのみならず、仕事や勉強でも取り組む姿勢とその結果が表面に現れてくるのではないでしょうか。
こういったテーマに対して、中には「人それぞれだよね!」と、その場を”わかった気”で収める人もいるかもしれません。断言しますが、「人それぞれ」という言葉を多用する人は、『人の目を気にする臆病者』であると私は考えています。そういう人は日ごろからiPhoneの顔認証くらい人の顔色をうかがってますよね?”ポジション”を取るというのは、主義主張を明確にすることであり、その根底にあるのは『自分の感性を信じて定める』行為です。感性を信じて定めた結果、人から否定されたり結果が出ないことを恐れて、「人それぞれ」という言葉を使って自身の感性を否定されることから避けようとしているのではないでしょうか?「人それぞれ」なんていうのは当たり前です。どっちかの夜は昼間くらい当たり前です。生まれも育ちも違う人同士の考えが全く一緒のほうがホラーです。そんな「人それぞれ」である前提であなたが大事にしていることを聞きたいのです。本当は『プリン好き』なのに、周りから「いや、お前はザッハトルテのほうが好きだろ」と言われて、「そうかもしれないな…」と主義主張を変えるのは変じゃないですか?てめぇの好きなスイーツくらいどっしりと主張すべきです。
ここまで、『確固たる”ポジション”を取る』ことを強くお勧めしているのは、ダンスバトルというコンテンツにおいても、重要な考え方であるからです。実際のバトルの流れをもとに”ポジション”を取ることの効果を説明させていただきます。
”ポジション”をとってプレゼンテーションをすること
自身の確固たる”ポジション”があることで、一貫して自身をプレゼンテーションできるようになります。これが結果として予選サークルで印象を強く残すダンサーになると私は考えています。
そもそも、予選においてピックアップされるダンサーとはどういった人でしょうか?それはジャッジ目線で考えてみるとわかりやすいです。予選サークルは複数人が連続してムーブを披露する場であるため、次から次へとジャッジはそのダンサーの、その瞬間のムーブを見て断片的な点数をつけていきます。まるで、『次から次へ運ばれてきた料理を試食して、一番おいしいと感じたものを選んでいく』ような感覚です。この試食をしていくときに、他のダンサーと味の違いがはっきりしないものや、何とも形容しがたい味であればジャッジは評価に苦心します。「いたって普通の具無し塩おにぎりだな…」とか「焼いてない食パンなんて食べてらんないよ…」など、一口食べて印象に残らない料理を、数ある料理から自信を持って「おいしい!」とジャッジは言いづらいです。もしかしたら食べ進めていくうえでその良さがわかってくるかもしれませんが、予選の限られた空間と時間(無制限の場合を除く)の中では、そのダンサーの良さを一口で的確に見抜くということは不可能に近いです。
こういったジャッジの目線を踏まえて、予選サークルを突破するのに重要になってくるのが、『いかに味に違いを出していくか』ということです。極端な話、運ばれてきた料理の中にとんでもない激辛料理が混ざっていれば否応なしに印象に残ります。こういった個性的な味こそが、そのダンサーの”ポジション”と言ってもいいでしょう。「たっぷり醤油漬けいくらおにぎりで勝負だ!」とか、「濃厚あんバタートーストで勝負だ!」と自分の強みを前面に押し出すことで、ジャッジとしても選びやすい基準を設けることができます。人間というのは複数の選択肢が与えられた際に、その選択肢が多いほど決断しづらいと言われています。その中でも選び抜く基準となるのは『他者との明確な違い』なのです。
しかし、これはなにも『人とは違う目立つダンサー』になることを推奨しているわけではありません。重要なのは自身の”主義主張”をどこまでストレートに伝えることができるかということです。確かに激辛料理は目立ちますが、シンプルに辛い物が苦手なジャッジには評価してもらえないでしょう。目立つことだけに力を入れすぎて客が来ない脱毛サロンの広告のような虚しさです。大事なのは自分の”主義主張”から沸き立つ魅力を徹底的に伝えることなのです。「このいくら美味しいでしょ?」「粒は大きいし醤油の浸かり具合も絶妙なんだよ!」「栄養を蓄えてる時期のピンポイントの鮭からとってるんだよね!」「でなきゃこんな大粒じゃないもんね!」「このお米は田舎のおばあちゃんが送ってきてくれたものでさ!」「もうこの米食べないと日本人辞めちゃいそうになるんだよね!」とその魅力を誠実に伝えるべきなんです。そうすると、不思議とそんな気はないのに目立っている印象になりませんか?明確な得点基準が存在しないダンスにおいて、最終的にはジャッジの好みに結果が左右されます。そもそもいくらが嫌いなジャッジだった場合は、いくらおにぎりは選択肢にすら上がらない可能性があります。それでも主義主張を丁寧に伝えることで、ジャッジは「だから美味しいのか!」という選ぶための納得感につながります。人間は最終的に自分の決断に納得感が欲しい生き物です。どこまで論理的に、機械的に人を評価していたとしても、そこに納得できるだけの”主義主張”があれば自然とそのダンサーが良く見えて、選択肢として頭に残り続けるのです。
ムーブの鮮度は”ポジション”が軸になる
現況や雰囲気を掴んでその瞬間でしか出せないムーブというは、自身の”ポジション”を軸に作り上げられます。この”ポジション”により、対面のバトルがより鮮度の高いものとなることでしょう。
本戦トーナメントは予選と違い、1対1の対面で勝敗を決します。ジャッジ目線で考えてみると、予選と違って明確な比較対象が存在するので、ジャッジとしてはシンプルに『良い』と思ったほうに手を挙げます。この『良い』という極めて抽象的な感情に多くの方が悩まされてきたことと思います。様々な意味を含む『良い』は、本記事では、”音楽と会場の雰囲気に合致した状態でその人の魅力が引き出されている”状態と定義して話を進めることとします。
この『良い』状態を演出するときに、カギとなってくるのが『鮮度』であると私は考えています。『鮮度』とは、そのとき、その場でしか出せない動きや雰囲気のことを指しています。例えば、音楽や会場の雰囲気を読み取って、「この曲でこの相手なら、たくさんフロアムーブを出して圧倒しよう!」とするのは『鮮度』の高いムーブであると言えます。これだけ聞くと、「即興力を磨けばいいのか!」と思われるかもしれませんが、決してそれだけではないのです。この『鮮度』を高く保つためには、自身の”ポジション”を軸にムーブを展開する必要があると考えています。
例えば、<おにぎりVS食パン>の対面バトルを想像してみましょう(なんの話やねん)。今回かかった曲はノリノリアゲアゲのダンスチューンであり、会場もかなり盛り上がっている状況を想像してください。この状況下で、おにぎりサイドは「男の子大好きわんぱく唐揚げおにぎり」で、食パンサイドは「意識高い奴御用達フレッシュBLTサンド」で勝負に出ます。おにぎりという”ポジション”、食パンという”ポジション”をそれぞれ軸に持ちながら曲や会場の雰囲気を掴んで鮮度の高いものを提供しているのです。「やっぱ男子は揚げ物だよなぁ!」と感じる人たちもいれば、「イケてる外資リーマンの朝は軽めなのさ!」と感じる人もいるでしょう。これも好みの領域ではあるものの、「こういう味がこの状況にピッタリなんだ!」と主張がはっきりしていれば、多少クセが強くてもジャッジは明確に判断しやすいですし、何よりも、譲らない”ポジション”同士の衝突は見ていて面白いものです。
ここまで、わけのわからない料理バトルを例にお付き合いいただきましたが、ダンスにおいてもその瞬間の曲や雰囲気を『テーマ』ととらえて的確につかみ、自分が持つ主義主張(=”ポジション”)を軸にアイデアを具現化することが『鮮度』を高める大きなポイントです。瞬間を大事にムーブの『鮮度』を高く保つことで、周りから『良い』と思われるようになります。逆に、その瞬間ではなく、過去の成功例に囚われたり未来のバトルを見据えて温存したりなどの作戦を優先してしまうと、その場の状況を的確につかむことを疎かにしてしまいます。同様に、セットムーブやルーティンをひたすら使いまわすことは、自身と状況との乖離が生じて『鮮度』がどんどん低くなっていきます。『鮮度』とは”今この場”を味わい尽くすことでしか生まれないのです。作戦やセットムーブが決して悪いわけではありません。普段の練習で培った技術は、いざというときに必ず武器になります。ただ、”ポジション”が軸としてはっきりしていれば、同じセットムーブでも使い方や魅せ方を自由にアレンジできるはずです。
このような理由から自身の”ポジション”を取ることがいかに大事であるかを実感したのではないでしょうか?周囲から浮いてしまうことを恐れずに、その瞬間を信じてアプローチを進めることこそ、即興勝負の醍醐味なのではないでしょうか。
競技も遊びも”ポジション”からスタートする
自分の『好き』なことや『やりたいこと』というのは、自分が”ポジション”を取ってきた結果であると言えます。
「なんでダンスを続けているのか?」という質問に対して、「ダンスが好き!」や「会場の雰囲気が好き!」、「友達に会いに来た!」などの色々な答えが返ってくるでしょう。それらの動機づけは、全て自身の取っている”ポジション”がそうさせています。人が選択するときは、何もない状態から選択することはありません。どんな状況でも選択するための判断材料を個々人で必ず持っており、それが個々人が取っている”ポジション”なのです。”ポジション”が様々な選択の判断材料になるというのであれば、”ポジション”そのものがその人の生き方自体にも影響を及ぼすことは想像に難くないでしょう。人と接することを無価値だと思う”ポジション”であれば、人との交流は避ける生活を送るでしょうし、パチンコをすることがこの世の悦びだとする”ポジション”であれば、平日だろうが休日だろうが関係なしにパチンコ店に駆け込むことでしょう。それらの”ポジション”は、内容がいかに高尚であろうが、いかにモラルが無いものであろうが価値は等しく認められるべきです。ですが、”ポジション”がなく、ただなんとなくダンスを続けていたり、人から言われてるからという理由は、そこには自分の『好き』や、『やりたいこと』が存在しません。それらには一体どれくらいの価値があるのでしょうか。
突然ですが、モンスターハンターでは私は太刀をメイン武器として使っています(温度差)。なぜかというと、武器の中で「太刀は超かっこよくて好きだから!(小並感)」という極めて個人的主観が理由になっています。モンハンは私にとって飯を食うための仕事でもなければ、人生を賭けた大勝負でもありません。熱の入った遊びです。ですが、遊びの中でも私の『確固たる主義主張』は確実に存在しています。みなさんも些細な遊びの中で、これだけは譲れない”ポジション”があるという人もいるのではないでしょうか。であるはずなのに、そのフィールドが人の心やお金がかかる競争の場になった途端、自分の主義主張を他人任せにしてしまう人も多いように思います。「このプロジェクトは上司の指示に従おう」や「先生の言う通りにしておけば怒られずに済むな」と、自身の主義主張を抑え込んで、考えることすら放棄してしまっていませんか?このような受け身の体勢に落ちてついてしまう原因は、「傷つきたくない」や「損したくない」という”恐怖心”からくるものです。自分の決定で金銭的に損をするかもしれないし、周囲から悪口を言われるかもしれないという”恐怖心”から、自身の”ポジション”を取らないようにしているのだと思います。また、自分の中で”ポジション”がなければ、失敗の原因が他人にあるということを確信できます。「先輩のアドバイスどおりにムーブしたのに予選落ちした!」や「親の言うとおりに生きてきたのに人生うまくいかない!」、「仕事で結果が出せないのは無能な同僚のせい!」と言うことができるので、自分は傷つかずに済むという原理です。原因を他人に押し付けるのは本当に簡単です。赤子の手をひねるどころかその手を3回転半させるくらいには簡単です(残忍)。驚くことに、この『”ポジション”を取らない』というのも一つの”ポジション”を取っている結果なのです。
”ポジション”を取ることで間違ったり失敗したりすることに恐怖を覚えるのは痛いほどよくわかります。しかし、”ポジション”を取ったことによる間違いや失敗は、自身のマインドの軌道修正のきっかけを与えてくれます。成功したときには、色濃い成功体験として次につながります。また、自分の”ポジション”が社会全体の”ポジション”のどこらへんに位置しているのかも見えてきます。逆に、ふわふわと”ポジション”を取らない状態での失敗や成功は、改善点も成功要因も明確にならないため、次につなげづらく迷走しがちです。昨今、あまりにも簡単に叫ばれている「多様性」の社会において、人の意見は否定せずとも自身の中の確固たる”ポジション”を守ることはとても重要です。”ポジション”を取るとは、言い換えれば「リスクを取って挑戦する姿」と言ってもいいでしょう。
まとめ
人の意見と衝突させる必要はありません。ですが「人の目を気にして何もできなくなる」のは、あなたが本来持っている感性を自ら否定する行為になりがちです。最終的に失敗したとしても「自分の”ポジション”を取った上での結果」であれば、得られる学びや改善点がクリアになって次の行動に繋がりやすい。そんな感覚は、すでに多くのバトラーが身をもって感じてきたはずです。
「これをやればうまくいく!」なんて魔法の法則は存在しませんが、「自分が何を大切にして、何を目指しているか」さえ押さえておけば、行動の方向性がブレにくいのは間違いありません。ダンスバトルであれ、仕事であれ、趣味であれ、それをやり続ける動機(=”ポジション”)がはっきりしていれば、周りからの評価に一喜一憂しながらも自分らしさを見失わずに前へ進めます。
技術が足りないなら練習すればいい。知識がなければ勉強すればいい。ダンスにおける武器や戦法はたくさんあります。しかし、その裏側にある「自分の感性を信じて、この”ポジション”を取りたい!」という明確な意思がなければ、やがてどこかで迷子になってしまうことは大いにあり得るでしょう。逆に、どんなに高い技術を持っていても、「自分は何が好きで、何を守りたいのか」が不明瞭だと、いつまでもその技術の使い道を模索することになってしまうのです。
ダンスバトルという、勝敗がシンプルに可視化される世界に慣れていると、失敗や負けを恐れて”ポジション”をはっきりと取れなくなってしまうかもしれません。でも、そこをあえて自分の感情に従って「好きは好き」「嫌いは嫌い」「やりたいことはやりたい!」と言い切れる人ほど、ダンスバトルでもそれ以外の活動でも結果を残しているように思います。
こんなに偉そうに書いてる私も、”ポジション”が曖昧なときが時々あります。そんなときは自分のやりたいことを真剣に考える時間を作るようにしています。皆さんも手に持ってるスマホを投げ捨ててボーっと考えてみてはいかがでしょうか。
最後までご精読いただきありがとうございました!
コメント
コメント一覧 (2件)
いいね!!ものすごく良いこと書いてある。
めちゃめちゃ大事だし、結構刺さったわ。
ゆーと!ここにコメントありがと!
読んでくれてありがとうねー!言いたいことが伝わってくれたらうれしいわよ~!