こんにちは!とーやです!
今、あなたの目の前に飲むとその場で”世界一上手なダンサーになれる薬”があります。あなたはその薬を飲みますか?飲まないですか?
ダンスに限らず、皆さん一度はこの”超人薬”について考えたことがあるのではないでしょうか。現実にはあり得ないし正解もないのですが、その人の主義主張がはっきり見える面白い議題だと思います。深夜2時ごろに飲み屋の隅でベロベロになって語るのにもってこいですよね。
そんな私のこの質問に対する回答は
「飲まない」です。
これは、カッコつけてるとかそういう理由じゃなくて(ちょっとだけカッコつけてるけど)、明確に飲まないことのメリットがあると考えているため「飲まない」と決めています。
今回は正解のない主義主張全開になりがちなこの質問に対して、私の「飲まない」と回答したたったひとつの理由を書き連ねていきます。
身につけた習慣こそが最強のプレゼント
私が薬を飲まないたったひとつの理由は、目標達成の過程で得た習慣と環境が薬の効能を上回るからです。
ダンスを上手くなるという目標に向かって行動した過程で得られる、練習方法や思考法、タイムマネジメント、人とのつながりが一つの技能を取得することよりもはるかに重要であると私は考えています。
わかっています。こういった習慣やら環境やらの話をすると、皆さんは「またまた貴様は綺麗事を並べ立てやがって」って顔してるんですよね?皆さんは「思考法やメンタルやらで人生語ってて意識高い系の痛い三十路だな」って顔してるんですよね?あなたのそのなんとも言えない表情は、直接見なくても似顔絵が描けるくらいクッキリわかります。
勘違いしてほしくないのは、私の基本性格は怠惰であるということです(自信満々)。仕事はめんどくさいものだと思うし、ダンスは好きだけど極力練習したくないと思うし、楽してお金を手に入れたいと常日頃から思っています。そんな怠惰な私が、わざわざ「薬を飲まない」と回答しているということは、読んでいる皆さんに意識の高さをアピールすることが目的ではありません。
なぜ私が習慣の獲得にこだわるのかというと、目標達成の過程で得られた習慣や環境は、他の目標達成を実現する際にも有用に働くからです。
会社に勤めながらダンサーをしている方なら共感してもらえると思うのですが、職場の同僚や上司、取引先の動きを見てて、「もっとこうしたら改善するのに」とか、「自信を持って働いたらいいのに」と感じる瞬間ってありませんか?あなたがそう感じるのは、売上額の達成や高い顧客満足度を得るために、どういった行動やコミュニケーションが必要であるかなど、「目標達成に向けて道筋を立てる」という思考の癖が頭の中でできているからだと考えています。
ダンスバトルの予選サークルで高得点を取るために、自身のダンスの強みやキャラを1分に満たない時間で詰め込む必要があると理解して、本番想定の効果的な練習や、親しい先輩からフィードバックをもらって軌道修正を繰り返して本番に挑みます。これを仕事に例えると、自社の商品を与えられた時間で最大限アピールする。そのために必要なわかりやすい資料を用意して、時には上司からフィードバックをもらって、自信を持ってプレゼンするのと一緒です。普段は家に居るだけで、何もせずに過ごしてきた人と比べると、目標設定や必要な過程、かかる時間をイメージする訓練が最初からできている人は多いと思います。
もう少し踏み込むと、必要な練習やフィードバックなど余念のない準備を重ねた末に、本番では華麗に予選落ちを決めることも往々にしてあります。まるで、全人類から自分のダンスを否定されたような気持ちに押しつぶされそうになりながらも、ダンスとその周りの人が好きだから、ちょっと休んでなんとか頑張り続けることができて、とある日のバトルで不意に予選を通過してとても喜ぶわけです。けれども次のバトルではまた予選落ちで上手くいかず、という上下を繰り返して素敵なダンサーになっていきます。
お金と時間を払ってまで、こんなにしんどい思いをしているあなたが仕事で活躍できないわけがないんです。
また、仕事側の目線を持ってダンスに取り組む時も、活きる能力がたくさんあります。職場では成果が求められるので、逐一の報連相と現場への根回し、論理的コミュニケーション力を嫌でも鍛えさせられます。「今度やるショーのこのパートのこのフリがまだできてないから協力してほしい!」と仲間に打ち明けるときもあるでしょう。イベントを企画するときには、日程やコンテンツの重複がないように、他のオーガナイザーに予め根回しすることもあるでしょう。自分と他人の良いところを論理的に比較してそれをなるべく誤解がないように人に伝えることもあるでしょう。個人的な体感ですが、仕事で成果を上げている人はダンスでも成果を上げているように感じます。仕事に限らず学校やその他のコミュニティにおいても、得られた習慣や環境がプラスに働くことはよくあることなのです。
実際に”上手くなる薬”を飲んだとして、その場でとてつもなくダンスが上手くなったとします。誰にも負けない完全無欠ダンスマンになったとして、得られるものはダンスのみです。毎日練習する習慣や、他者への共感力、人に自分の悩みを打ち明ける素直さなどの、目標達成の道中であって然るべきプロセスは全て省略されてしまいます。”世界一上手”という能力そのものが活きるのは、特定の狭い範囲に限定されてしまうのではないでしょうか。
「自分はダンス以外に何もやってないから関係ないな!」と感じる人にも聞いて欲しいのですが、あなたが「ダンスをしていて楽しいと感じる瞬間」とはどんなときでしょうか?バトルで優勝したり、コンテストで入賞したり、素晴らしいナンバー作品が作れたりなど、技術が認められる楽しさもあるでしょうが、ダンス仲間と飲みに行ったり、サウナに行ったり、人間関係や恋愛の相談をしたりと、ダンス以外の部分でも楽しさを感じていることはありませんか?それまでの習慣や周りの環境があるからこそ、ダンスを楽しいと感じることも多いはずです。プロセスを省略するとこれらを得ることが難しくなるのではないでしょうか。
皆さんは「グランド・セフト・オートシリーズ」(以下、グラセフ)というゲームはご存知でしょうか?(唐突)
このゲームは簡単に言うと、与えられたミッションを様々な手法でクリアしていくもので、街ゆく通行人から車を盗んだり、無差別に人を殺したり、警察に追っかけ回されたり、車の中で××××したりと犯罪を手軽に体験できるのがこのゲームの特徴です(物騒すぎる)。
グラセフには公式でチートコマンド(裏技)が存在しており、このコマンドを入力すると主人公が全く強くない初期の状態から、いきなりめちゃくちゃ強い戦車を運転できるようになったり、ヘリコプターに乗ることができたり、街ゆく女の子からモテモテになれたりすることができます。チートコマンドこそこのゲームの醍醐味と言ってもいいでしょう。
チートをした人ならわかると思うのですが、いきなり自分が強くなるものだから、最初はなんでも思い通りにできて楽しいのですが、これが15分もすると飽きてしまいます。それ以降、チートを使うことはおろか、まともにプレイすらしなくなってしまいます(チートを使わないでプレイすると結構難しい)。
“上手くなる薬”を飲むということは、グラセフで言うチートをすることと一緒なのではないでしょうか。その過程にあるストーリーを見ずになんでも思い通りになると、人間は興味を失ってしまいます。思い通りになるかわからない、強くなるための努力をしなくてはならないからこそ、コンテンツを楽しいと感じるのではないでしょうか。
「プロセスこそ全て!結果主義はだめだ!」ということを、私は言いたいわけではありません。結果も貪欲に求めるべきだと思います。結果を求めることで、価値あるプロセスもセットで手に入ると考えています。結果も過程も両方バランス良く意識することで、過程で生じるストーリーが愛着になり、その経験がモノの見方を多様にしてくれるはずです。
高額当選者は不幸になりやすい
この薬の話よりも、もっと現実的な例があります。それが宝くじの高額当選者の例です。
皆さんが一度は夢見る宝くじの大当たり。もしあなたのもとに、税金が一切かからない1億円が舞い込んできたとしたらどう使うでしょうか。
・前から欲しかったApple製品、自家用車、バレンシアガの高ぇサイフですか?
・前からやりたかった全身脱毛、海外旅行、夜のお店でフルオプションですか?
・穿った見方をする人は、株式や不動産に1億円を突撃させるかもしれません。
こういう妄想の広がりかたって銀河系の膨張並みですよね。
頭の中がお花畑どころか、天の川銀河になってしまった皆さんには残念なお知らせなのですが、実際に宝くじなどで高額当選した人は、自分が不幸だと感じる人が多いようです。際限のない欲望に囚われて数年内に手持ちのお金を全額使い切ってしまったり、周囲の人に対して「自分のお金を狙っているのではないか」と疑心暗鬼になってしまったり、よくわからない投資詐欺に遭ったりするそうです。資本主義の世の中において、「お金がたくさんあれば幸福である」と思ってしまうのですが、大金を持っているという事実と自分の心の器が見合っていないことにより、不幸に感じてしまうようです。
別の例を考えてみます。日々の節約、真面目に労働、積立投資で数十年かけてコツコツ1億円を貯めた人がいるとします。こういう人は資産が1億円を達成した時には、既にお金を貯める生活が習慣化されているため、「この1億円を派手に使っちゃうぞ〜」なんてことをそう簡単には考えないでしょう。節約することは当たり前だし、毎日仕事をすることも当たり前で、長年蓄積してきた投資の知識も十分にあるので、周囲に対しても自信を持った振る舞いができるでしょう。また「ここはお金を使うべき」、「ここではお金を使わない」という価値基準も明確なので、詐欺に遭うことも少ないはずです。
“宝くじで獲得する1億円“と”自分で貯めた1億円“は、価値としては一緒なはずなのに持っている人間の生活スキルや思考術に圧倒的な差があります。ここまで貯めた過程での1億円には金額としての価値以上の習慣と環境の価値を身につけているはずです。
薬を飲む例に戻ると、ダンスがいきなり超人的に上手くなることで、周りのダンサーの努力や悩みに共感できなくなるのではないでしょうか。また、自分が慕われているのは、”自分という根本の存在”ではなく、”ダンスをしているときの自分だけ”という状態になります。ダンスがなくなってしまえば、周りから見たその人は無価値になってしまうのではないでしょうか。この世が資本主義社会ならぬ、ダンス主義社会であったとしても、生きていくのはハードモードなはずです。
こんな話してますけど、私もポンと1億円がもらえるならそりゃ欲しいです。習慣とかカッコつけてるけどマジで欲しいです。でも、それで得られるのはお金だけです。自分で稼いだ場合に得られるはずだった習慣と環境は得られないですし、なんなら1億円払ってでもそれらを買うことはできないでしょう。
時間は最大の味方
薬を飲むことも宝くじに当たることも、習慣と環境が作れないからおすすめできないと言ってきましたが、「薬や宝くじは時間がかからないから、習慣も環境も後から形成すればいいじゃん!」や「そもそも目標達成ができないのでは意味ないじゃん!」という反論があると思います。一瞬で目標達成できれば他のことに時間を充てられるし、そもそも目標達成できないのなら薬に頼ることのほうがマシなんじゃないかと考えるのも当然だと思います。
これらの反論に関しては、私の考えをひとつずつ展開させていただきます。
「薬や宝くじは時間がかからないから、習慣も環境も後から形成すればいいじゃん!」という反論に対しては、技能のみを身につけた後に習慣や環境のみを得ることはかなり難しいと私は考えています。習慣と環境の形成は、成功のみならず失敗や人間関係の対立から生まれるものも多いです。目標達成した後に、わざわざ負けにいったり、不用意に対立関係を築いたりできますか?人間は良くも悪くも今の環境から、より悪い環境に自らの意思で移動することは至難の業です。スマホを持ってるのにガラケーの方が安いからって今更乗り換えられませんよね?習慣や環境は常に目標とセットでないと育てられないものです。よって時間効率を考えて、結果を先に得てから習慣と環境を形成するというのはほぼ無理だと考えてもらった方が良いです。
「そもそも目標達成ができないのでは意味ないじゃん!」という反論に対しては、掲げた目標は達成できなかったとしても得られるものはたくさんあったはずなので、得られたものに目を向けるべきだと私は考えています。この反論には、「努力したのだから、相応しい結果が得られて当然」という考え方が根底にあるのではないでしょうか。努力量=結果量にならないと納得しないという考え方だと思います。時給1,200円のバイトを5時間したのだから、6,000円もらうのは当然だという「時給思考」と呼ばれるものです。この「時給思考」は悪いというわけではないのですが、結果を得るためにはその分の時間を費やさないといけないという最大の弱点があります。
想像して欲しいのですが、自分よりもダンス歴が短いのにバンバン結果を出している人が周りにいませんか?そういう人は才能があるとか効率的である以前に、得られたものを上手に使っている人だと私は考えています。「今回のバトルは振るわなかったけど、こういうところはよかった」とか「自分はこの音楽が苦手なのが知れてよかった」という単純なものから、勝ち上がった人のムーブを見てその傾向を掴んだり、ジャッジのアドバイスを聞いて実際に取り入れるなど、結果以外で得られたものにフォーカスできる人は、その後の結果やモチベーションに多大な影響を及ぼしています。
5時間のバイトで6,000円より多くお金を貰うことはできません。ですが、現実には5時間で数十万円稼ぐ人もいます。一方で私のように長くダンスを続けていても結果はいまひとつの人がこの世にはたくさんいるわけです。時給思考がうまくいくのであれば、歴が長い人から順に結果が良いはずなのですが、そう簡単な話ではないことをみなさんも痛感していることでしょう。だったら「時給思考」のような、努力した分の見返りを求めるような考え方は、自分を大きく先に進められる思考ではないと理解して、過程で得られたものや知ることができたものに全力で目を向けるべきではないのでしょうか。そうしていくうちに、何気なく得られた技術や経験が他の分野に役立つとてつもないスキルだったので、努力量<結果量が成り立つことが平然とあり得るのです。
これらの反論に対する私の考えには共通点があります。それは、時間を味方につけたことでとんでもない人間になれるということです。時間をかけて習慣と環境を形成すること、時間をかけて失敗した経験を積むことは最初は前向きな効果を実感できないでしょうが、歴を積むごとにモノの見え方や習熟度がどんどんスピードアップしていきます。それはまるで、銀行に預けると利子が複利でついていくように、また、借金すると利息で借金額が急速に膨らむようにそのインパクトが徐々に大きくなります。ロックダンスをはじめたてのときは、スクービードゥを普通にやることすらままならなかったでしょうが、今では、いろいろな派生系のスクービードゥを難なくやることができるのではないでしょうか。
例えが悪いのですが、「明日には体重を10キロ増やしてください」というのは、どんなに不摂生でも難しいでしょうが「一年後には体重を10キロ増やしてください」と言われれば簡単に感じませんか?更に運動不足、間食夜食の習慣がついている人にとっては朝飯前なはずです。いや、そういう人は朝飯モリモリ食べるか。
やってきた時間は他の追随を許さない圧倒的なものになって返ってきます。もちろん、目標設定とその過程の方向性を誤らないように慎重に吟味する必要があります。
「もっとはやく真剣に努力すればよかった」と思う人は、嘆く前にこの瞬間から始めてください。時間は進んでいるので、過去には戻れませんが、今から始められれば、数年後には他の人には到底追いつけない”なにか”を習得しているはずです。「思い立ったが吉日」とはよく言ったものです。
まとめ
今回は”世界一上手なダンサーになれる薬”があったとしたら、あなたは飲みますか?飲みませんか?問いに対して、私の回答とその理由を書き連ねました。
▶私の回答は「飲まない」
<薬を飲まない理由>
飲まないことで目標達成の過程で得た習慣と環境を獲得でき、それが他でも有用であるから。
<習慣や環境を重視する理由>
◯すぐに得られる技能やお金には特定の価値しかない。
◯時間をかけて得た習慣と環境はお金で買えない。
◯時間をかけて得たものは大きくなるスピードが速い。
ここまで理由を含めて、薬を飲むことを否定的に伝えてしまいましたが、薬を飲む派の人が存在していても良いと思っています。飲む派の考えもぜひ一度聞いてみたいです。
今回の記事を読んで「とにかく努力すればいいんだ!」と思った人はちょっと勘違いしてます。目標達成というのは、あくまで自分がやれることをベースに楽しく突き進むべきだと思います。苦しいことや効率の悪いことは続きづらいですし、自らを茨の道に置くことが必ずしも良い習慣や良い環境を得られる手法とは限りません。楽できるところは楽した方がいいです。「お洗濯物を綺麗にするために川で洗濯板使って洗濯するぞー!」って人がいるなら僕が全力で止めます。とっととドラム式洗濯機を購入してください。自分が設定すべき目標と必要な習慣や環境の判断は、人から聞いたり色々な経験したりして選択(洗濯)できるようになるといいですね。ラクできるところは存分にラクするべきです。
最後までご精読いただきありがとうございました!
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