体験の蓄積が個性になる【9月レッスンログ】

こんにちは!とーやです!

昨年のレッスン振り返りシリーズです!(最近ブログ書けてなかったのを今更更新してるだけなんだけどね)

9月は”ストップアンドゴーで遊んでみよう”をテーマにみなさんと練習させていただきました。「ストップアンドゴー」は、ストップ、リズム、シルエットの絶妙なバランスが要求される非常に高難易度な技であり、初見プレイではあまりの難しさに絶望した人間が後を絶たないことで有名です(適当)。

今回のレッスンでは、「ストップアンドゴー」について、基本的な形を習得してもらったのとプラスして、とーや式にアレンジを加えたストップアンドゴーを皆さんと練習して、技そのものの構造を深く理解してもらいました。

「技をアレンジする」というのはダンスをある程度やっていると誰しもが通る道であり、自分の好きな音楽で好きなアレンジをするというのはダンスの醍醐味と言っていいでしょう。同時に「アレンジだからなにやってもいいっしょ!」というわけにはいかないことも肌で感じていることでしょう。ストップアンドゴーのアレンジだからっていきなり地面に膝をついてヨガのポーズみたいなことやられたらストップアンドゴーとしては認識しづらいでしょう。節子、それはストップアンドゴーやない、ヨガや。

アレンジは、その人のダンスの「体験」に依存するものであると考えています。技のアレンジや創作は、一見して何もないところから自身で新たに作り上げたものだと考えがちですが、創作物は何もないところからは生まれません。その人の体験や経験がもとになってモノが形をもって生まれると考えています。

本記事では、技のアレンジをする上での個人的な意識と、自身の体験が個性となってアレンジへと至るという、私の考えを書き殴っていきます。

目次

技のアレンジで意識するべきこと

一見して壮大そうなテーマについて個人的な解釈をお伝えする前に、今回のレッスンで取り扱った「ストップアンドゴー」をもとに、私がアレンジで意識しているポイントをお伝えします。

①シルエットの大小調整
見た目に直結するシルエットですが、「個性」と直結する重要な役割を担っている部分です。大きければいいわけでも小さければいいわけでもなくあなたの身体に合った、その時に流れている音楽に合った、その時の雰囲気に合ったちょうどよいシルエットである必要があると考えています。今回のレッスンでは、最初のストップの腕と肘はしっかり上げて、後ろに重心を移す時のパンチは前方向にまっすぐ出すことを意識しました。当然、「これが正解!」というわけではありませんが、技の構成要素をしっかりとこなすことで、どの音楽や雰囲気でも普遍的に伝わるようなストップアンドゴーになると考えています。

②ストップ
ロックダンスにおける最重要項目、週刊少年ジャンプで言うところのワンピースぐらいおさえておかなければならない「ストップ」は、その強弱や固さで見た目の印象は大きく変わります。ストップアンドゴーの初手の「ストップ」は、いわばジャンプの巻頭カラーなわけですから、ここをないがしろするとその後の動きの印象も良くなりません。「カチッ」としたイメージで止めれば、その後の動きもタイトな印象になり、「柔らかくふんわり」としたイメージで止めれば、その後の動きも優しく余裕のある印象になると考えています。

③リズムとアクセント
その技がもともと持っているリズムの増減やアクセントを意識することで、技のフレーム部分は同一でありながら、他の人がやる技とは違う印象を与えることでしょう。
「今日は天気がいいね~!」と同じくらい発している、「『ストップアンドゴー』って人それぞれでやり方が違うよね」というセリフの出どころは、リズムとアクセントの違いを指していることがほとんどであると言ってもいいでしょう。特に「ストップアンドゴー」においては、具体的なやり方が定まっていないことと、手先よりも身体の使い方に依存するか箇所が多いことから、技を完結させるうえで制約が少ないため「人それぞれ」なストップアンドゴーが生まれるのではないかと考えています。

以上の三点を意識してアレンジした技を皆さんと練習しました。「ストップアンドゴー」のみならず、他の技やノリでもこの意識を加えるだけで個性的なものになると考えています。

ここで注意したいのが、『極度のアレンジにより技のフレームを逸脱するとソレはもうソレではない』ということです。極端な例ですが、「ストップアンドゴー」のアレンジを試みる際に、急にヨガのポーズをやりだしたら、本人の中でいくら「これはストップアンドゴーだ!」と言い張ったところで、他者から見たらそれはヨガなのです(真理)。その技のフレーム(≒シルエット)から大きく異なると、その動きを視覚的に受け取る他者は、技として認知できない状態となります。以前の記事でも触れましたが、気持ちがどんなに強くても他者に伝わらなければ、それは存在しないのと同じことなのです。

これを「ストップアンドゴーなんです!」と言われましても

アレンジとは元の技が存在して初めてその良さを感じるものです。「シャインマスカット風味があるから、普通のいろはすってうまいよなぁ~」ではなく、「いろはすのシャインマスカット風味ってちょうど良くね?」となるのが普通なのです。変わり種とは原種があってこそなのです。ゆえに技のアレンジにおいても、あくまで”フレイバー”という意識を忘れずにいたいものです。

アレンジは体験を引き出しているだけ

ここまで話してきたアレンジの意識は、あくまで私の意識です。みなさんはどのような意識で技にアレンジを施しているでしょうか?

「なんとなくやってたらこんな形になったんだよね~」や「このリズムどりが好きでそれをこの技に入れてるんだよね~」とか「デケェのがカッケェからデカくやってる!」などなど、極めて個人的な趣向がアレンジに反映されていることが多いのではないでしょうか?

そもそも、「アレンジ」とは無からは生まれません。自分で考えついたと思っているその「アレンジ」は、誰かがやっていた断片的なものを、あなたがひとつのものとしてつなぎ合わせて生み出したものなのです。悪い言い方をすれば、「パクリの詰め合わせ」なのです。「パクリの全世界株式インデックスファンド」なのです(言いたいだけ)。ロックダンスを作ったロッカーズですら、アニメのキャラクターの動きをマネしてステップを作ったという話があるほどです。あなたが何かを作るときには、必ず別の何かを無意識的に参考にしてその何かは完成しているはずなのです。

ここで私が言いたいのは、「アレンジは所詮パクリに過ぎないんだよ(悲観)」ということではなく、情報の断片を繋ぎ合わせたものがアレンジであるのなら、「情報の源となる自身の体験がアレンジの完成度に大きな影響を及ぼす」のではないかと言いたいのです。身近にいるダンサーや先生の影響を受けるのは、その情報に密に触れているので、自分で何かを作ろうとしたときには、意識に関係なくそれらを参考にするでしょう。反対に、全く見たことも聞いたこともないダンサーの影響を受けるということ不可能であると考えられるため、例えば、(俺が編み出したあの技、あいつもやっていやがるだと…!)となったことがある人も、どこかのタイミングでその”あいつ”と似た何かを経験している可能性は非常に高いと考えています。

これはダンスに限った話ではなく、スポーツや漫画、お笑い、仕事などの日常生活からも影響を受けてダンスにアウトプットされることは良くあります。例えば、格闘技を経験したことのある人は、重心や足の動かし方は普通の人とは違うアレンジになるかもしれませんし、ゲームが趣味の人は正確丁寧な入力を心がけるので動作のひとつひとつが丁寧かもしれません。その人の体験が直接的にアウトプットされるというより、端々の小さな要素が集まって形になり、突然頭に沸いて出てくるものだと考えています。

偏りが個性になる

ここまで、「体験」がアレンジや創作の源となるということは、なんとなくご理解いただけたと思います。であれば、「いっぱい『体験』すれば、めっちゃスゲーもん作り出せるじゃん!」という結論に辿り着きます。

ということで、「よし、朝は読書して、ランニングからの、瞑想!仕事を午前中で終わらせて、昼は行ったことないお店でランチをしつつ、SNSで最近流行りのショート動画を見て、ランチ後は筋トレして、その後は抽象絵画にチャレンジしてみよう!絵画のあとはサウナと水風呂を3セット決めて、友だちと飲みに行こう!帰ったら話題のアニメを見て忌憚ない感想をポストしてから、あ、寝る前はモンハンで新しい装備作るためにティガレックス倒そう!今日の振り返りを日記にまとめて、ストレッチして寝よう!あ、でも”寝る”ことって既に体験済みだから、時間削って株価でも確認するか~!」と、たくさん「体験」しようと毎日を過ごそうとします。

死ぬんか?

活力にみなぎっているのは大いに結構です。しかし、ご存じのとおり人間には時間という制約が与えられているため、たくさん「体験」をするにも限度があります。また、日本の経済状況を鑑みると、多種多様な「体験」にお金を使うのにも、やはり限度があります。

「体験」には、必ず時間とお金を払っているはずです。例えば、絵画教室に通うためには、実際に描く時間のみならず、移動時間や教室を予約する作業時間、先生や生徒と情報交換する時間がかかります。また、絵画に必要なカンバスや筆や絵具、そのモデルなどに対してお金がかかります。この絵画教室に通わなかった場合は、その分の時間とお金を他のことに使うことができたと言い換えることもできます。

「体験」したということはつまり、他のことを「体験」していないというトレードオフの関係が成り立ちます。この「体験」しているものと、していないものが人それぞれで偏りが生じ、この偏りこそみんなが言う「個性」だと私は考えています。私自身、絵画は全くやったことありませんが、やったことある人のダンスは私と違う意識でダンスをするはずです。反対に、私はその絵画の分の時間とお金をゲームに費やしてきたので、ゲームから得たなにかでダンスができるはずです。具体的にそれが何かはわかりませんが(適当)。

これは極論ですが、アレンジに影響を及ぼす「体験」は「個性」を生み出し、「個性」は時間とお金を使ったものの比率で決まってくるので、アレンジそのものが時間とお金の使い方で決まると言えるのではないでしょうか。ときには「時間とお金を無駄にしたー!」と嘆くことも有るでしょうが、そのことに時間とお金を費やしたことが無駄であったと「体験」できたという意味では、実は「無駄な体験」というのは存在しないのではないでしょうか?

まとめ

今回のレッスンでは「ストップアンドゴー」にアレンジを加えて練習しました。そこから派生して、具体的な技のアレンジポイントや、アレンジがどのような過程で生じるかを個人的な意見として記事にまとめました。

▶技のアレンジで意識すべきこと(個人的)
・シルエットの大小調整を考える
・ストップの強弱や質感で印象が変わることを理解する
・リズムとアクセントで自分らしさを出す
※技のフレームを大きく外れるようなアレンジは、他者に伝わらないのでお勧めできない

▶アレンジと「体験」の関係性
・アレンジは無から生まれず、「体験」から生まれる
・「体験」は意識/無意識問わず、あらゆる場面からインスピレーションを得ている
・それぞれの「体験」が独自の偏りを生み、それが「個性」となる
☆体験→個性→アレンジの順で成り立っている

▶個性としての偏り
自分の好きなことや得意なことに偏りが出るのは自然なことです。むしろ、その偏りこそが「個性」であり、他の誰でもない”自分”を形作る重要な要素なのではないでしょうか。自分の好きなこと、やりたいことを「体験」していくことで、必然的にオリジナリティは生まれます。ただし、ダンスという外部に発信する表現技法である以上、その偏りを他者にも理解できる形で表現することが重要です。基本があってこその「個性」であり、それがあなたの表現をより魅力的なものにしてくれるはずです。

最後までご精読いただき、ありがとうございました!

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