こんにちは。とーやです。
ここ最近、周りの人から「この前のブログ読んだよ~!」という報告を頂くことが非常に多くなりました。私めの稚拙な文章が、皆さんからちょっとずつ時間を奪っているようで、非常に嬉しく思います。
私のブログは、「思ったことをブレさせずに伝える」をモットーにしたためています。知識として嘘をついてしまうことはあるかもしれないですが、自分の気持ちには嘘をつかないように、極力”ナマ感”を表現することに注力しています。
そんな考えで書いているからこそ、ブログを読んでいただいている皆さんの中には、「いや、それは違くない?」とか「そうは言うけど、こういう考え方だってあるじゃん!」と、矛盾を感じてモヤモヤされている方もいることでしょう。
そんなモヤついているあなた、
正解です。
あなたの抱いている感情は至極真っ当です。おめでとうございます。煽ってないです。
物事に対して意見や理論を述べると、同時に、矛盾している点や否定できる箇所が必ず出てきてしまいます。これを「自己矛盾」というそうです。
ダンスのみならず、仕事、勉強、趣味でも、目標達成に向けて努力している人は、この「自己矛盾」を経験している人は多いように感じます。この「自己矛盾」の影響で、自分のやっていることの正しさや意味を見失う事もしばしばあると思います。
今回はダンスの技術的な考えから離れて、この「自己矛盾」について、どういうものなのか、どのように向き合っていくべきなのかなどを、独自解釈で書き連ねていきます。
自己矛盾とはどういう状態なのか?
自己矛盾とは“その人の行動や言動の中に、その人自身を否定する内容を含んでいる状態”を指します。
例えば、「ダンスが上手くなりたいから練習するぞ~」って言って練習するとします。
ですが、よくよく考えてみてください。練習したからってダンスって上手くなりますか?そりゃ練習した方が、上手くなる可能性は上がりますが、練習していなくても上手い人も中には存在しますよね?別に練習しなくてもいいじゃないですか?
例えば、「仕事をバリバリしてお金を稼いで幸せな生活を送るぞ~」って言って毎日を過ごすとします。
ですが、よくよく考えてみてください。お金を稼ぐことで本当に幸せな生活を送れるのでしょうか。お金が無くても、幸せに過ごしている人も中には存在しますよね?仕事をバリバリした結果、仕事に忙殺されて幸せな生活が送れなくなるかもしれません。そもそも、仕事するだけでお金を稼げる保証もありません。
このように、どのように言おうと、どのように行動しようと、常に反対の意見は成立してしまうものなのです。
ここまで聞いて、「そんなん屁理屈やボケ!」と反論する方もいるでしょう。しかし、この屁理屈は間違ったことは言っていないですよね?言っていることが後ろ向きに感じるだけで、決して嘘は言っていないですよね。
もちろん、この屁理屈そのものにも矛盾が存在しています。練習しなくても上手い人なんてほんの一握りだし、ある程度のお金がなければ、まともな生活もできず幸せではないでしょう。
「そうは言うけど、法律や行政みたいな、『社会の仕組み』は矛盾のない正しいものではないのか?」と絶対的なルールがあるのではないかと考えたくなりますよね。
例えば
・税金を払う事は正しいことでしょうか?
・殺人は悪い罪なのでしょうか?
法律上は、どれもそのように決まっていますが、どうしてそれらが正しいとなっているのでしょうか?別に税金を払わなくてもよくないですか?警察はやりたい人が報酬制でやってもいいし、消防は地元の消防団がやればいいし、水道は民営化してもいいだろうし。公務員や政治家の先生に払うお金も浮いていいこともありそうですよね。
殺人も、ドラマや映画のように、殺す側に同情してしまうような理由があれば、なんか許したくなる気持ちもあるじゃないですか。現に情状酌量なんてのもあるわけですし。
※これは例え話ですよみなさん!それでいいかって言って社会の仕組みから外れるのは犯罪ですからね!
ここまで、極端すぎるほどの例えを挙げてきましたが、お察しの良い方はお気づきでしょう。
そもそも、私たちは生きているだけで自己矛盾しているのです。社会がより良くなるように、あるいは、自分とその周りの人がより良くなるように、周りの環境やこれまでの経験をもとに、”可能な限り正解っぽい”もので言動や行動を決めているに過ぎないのではないでしょうか。そこには当然、矛盾を孕んでいるに決まっているのです。100%絶対がない世の中だからこそ、自己矛盾は必ず存在するものです。
そして、このように論理を展開している私の意見も当然矛盾しているわけです。これは参りましたね。
自己矛盾を回避する方法は?
このドラクエの仲間ばりに後ろをせっついてくる、「自己矛盾」を回避する方法はあるのでしょうか?
方法があるとしたら、何もせず今すぐ人生を終わらせることです。”自己”という存在がなくなれば、自己矛盾は起こりえないからです。
自己矛盾を回避したい皆さん。今までありがとうございました。来世でも一緒に池袋ワークルあたりで練習しましょうね。
ってわけにはいかないじゃないですか。
なので、回避ではなく、上手に付き合っていくことが大事であると考えています。
天地がひっくり返っても、自己矛盾が生じるのだったら、自分が”好き”とか”信じたい”と強く思う考え方で行動するのが健全なのではないでしょうか?
「よりよい自分」に、「なりたい自分」にと、あなたがあれやこれや考えている状態は痛いほどよくわかります。そして、あなたの考えや行動は、多分正しいです。そして多分矛盾しています。
だからこそ、どれかのルートに一回決めて進んでみませんか?
問題なのは、自己矛盾を抱えた状態で動けなくなることだと考えています。ダンスが上手くなるには、たくさん練習すべきなのか、たくさんイベントにでるべきなのか、先輩の言う事を聞くべきなのか、どれが正解なのかわからない状態のまま悩みつづけていては、今の自分からステップアップできないと思います。たくさん悩んで、たくさん泣いてもいいですが、それは歩きながらにしてください。
まずは一歩勇気をもって一つに邁進してみてください。もし、それが違うなって感じたら、辞めたらいいんです。はたから見たら、途中で投げ出す無責任な人、意思が弱い人と映ることもあるでしょうが、できないこと、違うことをやり続けることが、責任を持っている人、意思の強い人の行動と言えますか?
自分の”今の感情”を大事にして、突き進んでいけば見えてくるものがあるのではないでしょうか。
私の話で恐縮ですが、とあるスタジオのレギュラーレッスンを持ったことをきっかけに、Instagramでレッスンのハウツーを発信するようになりました。最初は間違いのない確実な情報を、誰も傷つかない形で世に出すように意識していました。その結果、出来上がったのは当たり障りのない、普遍的な内容でした。今思えば、損することもなければ、得することもないような、誰でも言える情報に何の価値があったのでしょうか。しかも、どれだけ配慮したとしても、私の発信で誰かが傷ついている可能性があります。どれだけ普遍性を意識したとしても、その内容が間違っている可能性もあります。
私のやりたいことは、もっと自分に素直な発信だと気づいて、ブログを立ち上げて狂ったように独自理論を書き殴ることを決めました。
この前のイベントで、ブログを読んだ人から「とーやさんと考え方逆なんですよね~」と反対意見を頂きました。当然ですよね。ですが、その反対意見を聞けば聞くほど、自身の理屈の粗さを認識したと同時に、より考えが強固になった部分もありました。そうそう。これこれ。私がやりたかったのは、自分の考えをみんなと揉んで、絶対の無い世の中で限りない正解に近づくことです。
このように熱く語っていますが、ブログの発信が違うなって思ったら秒でやめると思います。私は無責任で意志の弱い男なので。
自己矛盾を利用してみよう
「じゃあ、何やったって自己矛盾に陥るから、自分の信念に基づいて毎日を真っすぐ突き進んでいけばいいじゃん!」と清々しく生きていくのもいいですが、定期的に自分の言動、行動に対して、あえて自己矛盾を探してみるのもいいかもしれません。
例えば、ダンスが上手くなるために、たくさん練習するとは言ったけど、
〇本当にそれだけで上手くなるのかな?
〇練習を一回休んで、人と話す時間も設けるべきなんじゃないかな?
〇最近オーバーワーク気味だから、体を休めた方が効率的なんじゃないかな?
例えば、仕事でたくさんお金を稼ぐとは言ったけど、
〇仕事をバリバリやるんじゃなくて、バリバリやらなくてもお金を稼ぐ方法はあるんじゃないかな?
〇お金が少なくても幸せに暮らせるように、日々のコスト削減をしたほうがいいんじゃないかな?
〇お金を稼いで、自分は何がしたいのかな?
というように、自分のひた走る信念や目標に対して、自己矛盾をあえて抱くことで、気づかずに逸れていたゴールへの道のりが軌道修正できたり、意外な近道が発見できたりすることもあります。
友達や恋人、社会の仕組みに対しても、たまには懐疑的な視点を持つことをお勧めします。「税金は払わなくちゃいけないけど、払わない(安くする)方法があるのかな?」「友だちが買っていたものだからと言って、同じものを購入することに本当に価値があるのかな?」というような、世間の常識に全幅の信頼を置いているのは、信頼ではなく考えるのが面倒になっているだけなのかもしれません。
私の場合だと、月曜日に先週1週間の行動を自己矛盾強めに振り返るようにしています。これにより作業効率がアップしたり、そもそも、やる必要のない作業だと切り捨てたりできます。
まとめ
人は自己矛盾を抱えて生きています。この記事を見ているダンサーさんは特に表現者、発信者になっていると思うので、その抱えた荷物の重さを痛感していることでしょう。
考えないまま、言葉にしないまま、日々を過ごすというのは実はとても難易度の高いことなのではないでしょうか。
ご精読ありがとうございました!
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