とーやです!4月のレッスンもご参加いただきありがとうございました!
わかってます!今は6月ですね!はいはい!遅くなりました!
今回のレッスンテーマは『ひとつひとつを丁寧に』でした。
決められた動きの多いロックダンスですが、その動きをひとつひとつ綺麗に丁寧にやり切ることを心がけることは、いつになっても大事にするべきことだと考えています。ロックダンスの形が綺麗で悪いことを言ってくる人はいないのではないでしょうか。
しかし、心を打つダンスやバトルで勝つダンスなどは、必ずしも形がクリアで正確無比であるとは限らないです。”技術”(ここで言う技の綺麗さなど)が低くても人に届くダンスをする人はいると思います。
そもそも、”技術”とはどの部分の話をしているのでしょうか。技のシルエットやストップの持続時間の話なのでしょうか。
今回は、”技術”について私なりに再定義してみます。
綺麗なことだけが正義じゃない
まずは結論から。
別に動きがクリアじゃなくてもよくないですか?
と言ってしまうと、「お前、レッスンでやったことを全否定してるじゃん!」という声が聞こえてきそうです。黙れ。
何故そのような結論に至ったのかというと、流れている”音楽”が完璧なものではないと考えているからです。皆さんの普段聞く、James BrownやPrinceやミスチルなんかを思い出してみてください。それらのアーティストの曲は、リズムが全く同じ間隔で正確無比に刻まれていますか?ボーカルの発声と呼吸タイミングは本当にバッチリですか?後ろのバンドは寸分の狂いなく演奏されていますか?もしそうなら、それは神がかった曲であり、非常につまらないものではないでしょうか?
すべてが完璧に、まるで機械のように音楽を作り上げることが果たしてあるのでしょうか(機械を使って音楽を作ることはありますが、機械的に作ることはないという意味)。音楽には演奏者のちょっとしたズレや歪みが生じることがあると思います。それが「ライブ感」であったり、時に「グルーヴ」と表現されるものだと考えています。
※今回の趣旨とはズレますが、この歪みやズレについては、以下の動画がものすごく良い解説をしているので、ご覧になったことが無い方は是非一度見てみてください。
本題に戻します。音楽は時に行き当たりばったりな、ズレも歪みもあるような、そんなところも含めて皆さんは魅力的に感じるのではないでしょうか。
そして“そんな音楽”にノって踊ることに、クリアでなくてはいけないわけではありません。“そんな音楽”に対して、完全無欠なスクービードゥやシャッフルをしようものなら、違和感を覚えることは想像に難くないでしょう。音楽によっては、少し粗雑なくらいがむしろ一体感があっていいのではないでしょうか。
表現としての”技術”を身に着けよう
前段の話は、要するに「音楽のニュアンスに合わせてロックダンスすればいいやん」ってことなのですが、言うは易しとは正にこのことでしょう。
今回のレッスンでは、トゥエル、ロック、スクービードゥーなどをリズムもシンプルにして混じり気なく表現できるような振り付けにしました。技の練習と並行して、シンプルな動きでどこまで音楽を表現できるのかを皆でチャレンジしました。
表現というと幅広くて、どこから着手してよいかわからなくなりますが、今回は「アーム軌道の近道と遠回り」による音楽表現について掘り下げていきます。ここでいう軌道の“近道”と“遠回り”は通常の日本語のニュアンスと若干異なります。
◯近道
スタート地点から余計なところにはいかず、ゴール地点へとたどり着く道のり。路地裏や塀の上、建物を飛び移るといった、小学生の通学路的な近道は禁止して、公道、国道を通っての最短ルートの意味合いが強いです。グーグルマップの道のり。
◯遠回り
ゴール地点に辿り着くまでのブレや余韻のこと。道中にスタバがあったら入って新作を飲んでみて、道中可愛い柴犬が散歩してたら、ワシャワシャしに行ったり、道中で知り合いに会ったら、また今度遊ぼうよみたいな社交辞令を交わしたりと、あくまでルートは外れず、道中の出来事をしっかり噛み締めてゴール地点に辿り着くような状態です。
この“近道”と“遠回り”の意識だけで、同じ技でも見え方が大きく変わってきます。例えばペーシングであれば、近道を意識すると、反動をできる限り生まないように、身体を締めて腕を思い描いた道のりに行ったり来たりさせます。無駄の無い固く乾いた印象を受けると思います。
その反対に、遠回りの意識であれば、むしろ反動を増幅させるように体全体で大きく腕を使います。身体がペーシングに引っ張られているような状態。下手したら練習不足なのではという印象を受けますが、見方を変えればズシンと響くような印象を受けると思います。
※遠回りがクリアな動きではないということ言いたいわけではありませんが、「アームを動かす」という点においては、余分な部分を含んでいるという意味合いでここでは解釈しています。
ここでハッキリと伝えたいのは、“近道”だろうが“遠回り”だろうがどちらもその良さがあるということです。私を含めて、ロックダンスをもっとうまくなりたいと思う人は、ここでいう“近道”に重点を置いて練習されている傾向にあると思います。それこそ上手くなるための“近道”として(うまい)。ですが、表現方法としての“遠回り”が必要なことも想像できるのではないでしょうか。急がば回れって言いますしね(うまい)。
“技術”という観点で言えば、意図的に“遠回り”を使えるようになれば、それもまた”技術”といえるのではないでしょうか。“技術”は必ずしもシルエットが綺麗で洗練されているだけではないことがここまででわかります。
コンプリートを意識しよう
「『ひとつひとつ丁寧に』って結局のところ、意図的に丁寧じゃないところも作って音楽に合わせればいいのね?」と、ここまでの解説を着地させたくなると思うのですが、今回の『ひとつひとつ丁寧』にの真意について、まだお伝えできていません。
『ひとつひとつ丁寧に』とは『ひとつひとつ丁寧に完了する』という意味です。
完了です。完了。
「完了(コンプリート)」とは、ロックダンスの技を最後までやり切るという意味です。先に挙げた、“近道”だろうが、“遠回り”だろうが、最後まで技をやり切ることがなによりも大事です。
これはどちらかというと、バトルやセッションで陥ってしまいがちなのですが、技をコンプリートする意識が無いと、すぐに次の技に始動してしまい、アームの軌道が曖昧でストップもなく、リズムもごちゃごちゃになり、ムーブ全体を通して中途半端な状態になってしまいます。
自分の中のかっこいいダンスを次から次へと頭の中で思い描くあまりに、やりたいことを食い気味に連射する状態は、本人は納得感があるかもしれませんが、見ている側としては、例えるなら打ち切り漫画を連続で読まされているようなモヤモヤ感を抱きます。「結局、書き手(ダンサー)は何がしたかったんだろう?」というような腑に落ちない感情。まだ、感情を持たれているうちは良いのですが、「何がしたいかよくわからないから見るのやめちゃおー」と見られなくなるなんてことも全然あります。
そして、前段の話と繋がりますが、アームの軌道がどうであれ最後まで技を完了させれば、私は”技術”があると言っていいのではないかと考えています。最速10話打ち切りの漫画でも、その10話に濃密緻密なストーリーが展開されて綺麗なオチがついていれば、読後感は良いでしょう。
「『ひとつひとつ丁寧に』完了させるまでのプロセスは、あなたの感じたようにやってみてね!」というのが今回のレッスンで伝えたいことでした。
皆さんがフリーで踊るときも是非近道と遠回りを上手く使い分けて、しっかりとゴールにたどり着くように踊ってみてください。
まとめ
今回は『ひとつひとつ丁寧に』というテーマでレッスンさせていただきました。
本記事では、”技術”とはクリアや粗雑を自身で意識的に使い分ける能力であり、「ひとつひとつ丁寧に」とは最後までやり切って技を完了させるという意味で解釈を展開しました。
私の実感として、ダンス歴が長くなるとできることが増えてくるのですが、できることが多くなると、最後まで完了させずに次の動きに行ってしまうことが多々あります。この塩梅を探っていくのは、共感性を高める部分にもつながるような気がします。
最後までご精読ありがとうございました。
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